唐招提寺(唐招提寺读音)
大家好,今天我想和大家分享一下我对“唐招提寺”的理解。为了让大家更深入地了解这个问题,我将相关资料进行了整理,现在就让我们一起来探讨吧。
文章目录列表:
1.唐招提寺日语简介
2.唐招提寺设计者在哪位皇帝期间设计的
3.唐招提寺的建筑风格是什么?
唐招提寺日语简介
唐招提寺は759年、圣武天皇の招きに応じ、苦难の末、日本にやってきた唐僧鉴真和上が右京五条二坊の地に律宗の道场を创建したのに始まります。
建筑群が独特の构成美をもつことから「伽蓝の交响楽」と賛えられており、もっとも天平の香りを残す寺として名高い。特に金堂は间口7间、奥行4间、寄栋造のどっしりした建物で、全面の8本の円柱が堂に奥行きを与えて美しい天平时代を代表する建造物です。1998年に世界文化遗产に登录されました。
ただし、唐招提寺では、平成12年5月から、金堂を中心とした大规模な修复事业が始まりました。金堂内阵に安置されていた国宝卢舎那仏座像?千手観音立像?薬师如来立像が移设?修理されるとともに、金堂は全体を覆う「素屋根」を建设して解体修理中で、平成21年まで拝観できません。
鉴真は唐の扬州大明寺の僧で、日本に着いてから、东大寺に戒坛を设け、戒坛院での授戒を制度として确立するため东大寺で5年间过ごしましたが、东大寺から解放された后、故新田部亲王(天武天皇の第七皇子)の旧宅を赐り、そこを「唐律招堤」と称し、戒院として教学の场を営むことになりました。やがて鉴真を支持する人々から居室や宿舎を赠られ、仓库、食堂、讲义用の讲堂、本尊を安置する仮金堂などが建てられ、鉴真の没后も金堂や东塔が建立されました。平安时代初头に伽蓝全体が完成し、そのころ「唐律招堤」から「唐招提寺」となりました。
唐招提寺设计者在哪位皇帝期间设计的
日本现存最好的唐代建筑是唐招提寺。
唐招提寺位于日本古都平城京,现奈良市五条町。它始建于公元759年,迄今已有1200余年的悠久历史。唐招提寺因唐朝高僧鉴真赴日讲经得名,招提意即在大唐和尚点化之下修行佛事。 鉴真赴日前的大唐帝国,人杰地灵,民富国强,俨然世界文明中心,为四方垂慕,万国敬仰。
时扬州大明寺高僧鉴真学识渊博,名闻暇迩,遂得日本圣武天皇盛情邀请。为弘扬佛法,传播大唐文化,鉴真不辞百无一渡的交通困难,毅然率弟子跨海东渡,以酬宏愿。
唐招提寺的建筑风格变化:
大约300年多前唐招提寺经历了元禄改修(根据奈良县教育委员会所藏图)。因年久失修破败不堪,所以经历了一场大修,因为当年大修时日本没有唐建工艺了,于是用了脚手架小屋组安到了鉴真主持修建的唐招提寺屋顶上,于是就有了大头屋的样式。
近代还经历了明治修改,也因此经历两次大修后的唐招提寺,所谓日本最唐朝的建筑也失去的真正唐建的原味了。
唐招提寺的建筑风格是什么?
唐招提寺设计者是鉴真,这座寺庙是759年建成,当时李唐王朝的皇帝是唐肃宗李亨。具体解释奉上,请参考!
唐招提寺(Tōshōdai Temple)日本佛教律宗建筑群。简称为招提寺 。在日本奈良市西京五条。由唐鉴真主持,于759年建成,与东大寺的戒坛院并为传布和研究律学的两大道场。
唐招提寺建于天平宝字3年(759),坐落在平城京(今奈良),它由中国高僧鉴真和尚东渡后率弟子建造。分金堂(大殿)、讲堂、大塔等。其中金堂是初建的原物,面阔七间,中间五间开门;进深四间,一进开敞,西城廊柱,柱子粗壮。单檐庑殿顶,原建坡度平缓,明显具有中国唐代的风格。
好了,关于唐招提寺的文章到此结束,希望可以帮助到大家。
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